@article{oai:otemae.repo.nii.ac.jp:00000077, author = {芝川, 治}, journal = {大手前大学論集, Otemae Journal}, month = {Mar}, note = {2100000227, 本邦における批評は一般に信を置き難いとされるが、ギリシア史のそれは如何であろうか。これを一九八〇年頃よりの約二十年間に亘って検証する。村川堅太郎や伊藤貞夫などに続く世代の批判精神などを討究に付するわけである。もっともそれらは量的に厖大であり、かつまた範囲も宏大である。筆者にしてそれらの全般を把握するのは到底不可能である。故に、本稿においては筆者の知悉する分野に対象を限定する。この点、恣意的と難ぜられるかもしれないが、それでも桜井万里子などの世代につきその特徴の少なくとも一端は明らかとなるであろう。本篇は章別にそれぞれ向山宏、清永昭次、仲手川良雄等々に分れ、それらに対する批評を分析する。その結果は香ばしきものではなさそうである。本邦に真の批評が定着するのはいつの事であろうか。}, pages = {1--18}, title = {ギリシア史の批評をめぐって (1)}, volume = {10}, year = {2010}, yomi = {シバカワ, オサム} }