@article{oai:otemae.repo.nii.ac.jp:00000634, author = {HIRAKAWA, Sukehiro and 平川, 祐弘}, journal = {大手前大学人文科学部論集, Otemae journal of humanities}, month = {}, note = {AA11529669, 新渡戸稲造 (一八六二-一九三三) はすぐれた農政学者であり行政官であるが、同時にカーライルに傾倒した教育者であり啓蒙家でもあった。外国文化にさらされたために日本人のアイデンティティーを武士道に求め、英文で Bushido-the Soul of Japan を一九〇〇年に公刊した。国際主義者であり同時に「日本の常習的弁護人」とも呼ばれた愛国者でもあった。この著書と著者に対してはバジル・ホール・チェンバレンを初め、西義之、太田雄三にいたるまで批判者が絶えない。他方、矢内原忠雄を初め新渡戸山脈と呼びうるほどの尊崇者もあり、彼の弟子たちは日本の親西洋の自由主義者の中核を形成した。その系譜は台湾の李登輝前総統にまで及んでいる。私自身も最後の Nitobe boy と呼ばれた前田陽一教授が創設した駒場の東大教養学科で教育を受け、その恩恵を深く受けた。伝記の中では杉森久英の一冊がこの「世界の中の日本」を目指した新渡戸の面目を比較的よく描き出している。ところで日本におけるナショナリズムとインターナショナリズムの相克は、我国の近代史をいうどってきた大問題である。それはまた文化交流などのコンパラティスムの諸問題を論ずる際の前提ともなるべき問題であるとも筆者は了解している。ではその際の国際主義とは一体どのようなものであるべきか。その問題の解明の一助とするためにも、時代に先がけて世界にさらされた人、新渡戸稲造の場合を考察し、比較研究者としての私たちの立場を確立するよすがとしたい。なお、二〇〇三年前期、北京日本学研究中心から私を指導教授として新渡戸稲造について学位論文を書き上げるべく王暁静が大手前大学大学院に留学した。その機会にかねてからの私の考えをまとめたのが本稿である。新渡戸関係文献を即座に取揃えてくれた大手前大学図書館に謝意を表する。}, pages = {73--101}, title = {西洋にさらされた日本人の自己主張 : 新渡戸稲造の『武士道』}, volume = {4}, year = {2003} }