@article{oai:otemae.repo.nii.ac.jp:00000568, author = {MORI, Michiko and 森, 道子}, journal = {大手前大学人文科学部論集, Otemae journal of humanities}, month = {}, note = {2000000406, ミルトンは"Roman Catholic"と言う語を使用しない。"Catholic"は"universal"を意味し、"Catholic church"は"universal church"となり、理想の教会と解釈されるからである。したがって、ローマ教皇を頭とする、いわゆるカトリック教会を指すときは、当時のプロテスタントの例に従い、"Papists","Popery","Romish"などを用いる。さらに、彼自身は、むしろ"Catholic heresy"と呼ぶのが妥当だとまで極言さえする。1626年の17歳のときのラテン詩"In Quintum Novembris"から、1673年の死の前年に発表したパンフレットOf True Religionに至るまで、カトリック教会への批判と攻撃の矛先が鈍ることはない。しかし、抽象的に宗教として憎んでも、カトリック教徒を個人として憎むことはなかった。それは、弟をはじめ、イタリア滞在中の友人たちと親交を結んでいることから明らかである。本論では、ミルトンが特にカトリック教会と向き合った時として、イタリア旅行(1638年-39年)、De Doctrina Christiana執筆中(1656年-60年、Paradise Lost制作と重なる)、Of True Religion(1673年)の三時期を取り上げ、彼のカトリック教会観、カトリック者への態度を考えたいと思う。同時に、この三時期はミルトンの生涯を三部するもので、政治的・宗教的・社会的激動のときである。}, pages = {A41--A60}, title = {ミルトンとローマ・カトリック教会}, volume = {6}, year = {2005}, yomi = {モリ, ミチコ} }