@article{oai:otemae.repo.nii.ac.jp:00002320, author = {EBI, Ryohei and 海老, 良平}, journal = {大手前大学論集, Otemae Journal}, month = {Jul}, note = {本稿の主題は、近代のモダンな文化の象徴として知られる珈琲店、カフェーパウリスタの阪神間における展開について考えるものである。20世紀初頭に始まるブラジルへの移民事業から誕生したカフェーパウリスタは、同国から無償供与された珈琲豆の販売によって、明治末期から大正時代における日本の珈琲普及に貢献した珈琲店であり、その名は三越本店、帝国劇場と並び、大正時代のモダンな街、銀座の象徴として、また知識人や文化人、芸術家などが集まるサロンとして、広く知られている。 ところで、そのカフェーパウリスタの初期の活動が、大阪、神戸の郊外である阪神間において展開していたことが、近年になって地元の自治体などによる調査研究を中心に明らかとなってきている。その出店場所であったのが、阪神間の箕面、宝塚、甲陽園の三地域であり、それらに共通するのは私鉄や地元の資本家によって大規模にレジャー開発された地域であったということである。これまで東京の都心を中心に展開したとされていたカフェーパウリスタの初期の活動場所がなぜ、郊外の阪神間、しかもレジャー地であったのか、ここに本稿の問題意識がある。本稿では箕面、宝塚、甲陽園でのカフェーパウリスタの概要を整理しながら、阪神間におけるその出店の意味を考えてみたい。}, pages = {1--15}, title = {阪神間の消費生活文化の源流を考えるにあたって(一) ~ 明治・大正期における箕面、宝塚、甲陽園のカフェーパウリスタについて~}, volume = {22}, year = {2022}, yomi = {エビ, リョウヘイ} }